1986年イタリアのブラで生まれたスローフード運動は、1989年パリでのスローフード宣言を経て、国際運動となって世界に広がり、2000年ごろになり日本においても浸透しはじめました。特にBSE問題や偽装標示事件など、食に関するスキャンダルが相次いだことで、食にたいする関心が高まったこともあり、2002年ごろからは全国各地にコンヴィヴィウムが次々と誕生するようになり、会員数も急激な勢いで増加しました。このように短期間で急増した国は初めてで、「スローフード」という言葉だけが一人歩きして、大切な運動の本質が伝わらないままに商業的に利用されたりと、混乱をきたす情況に国際本部も危惧するようになりました。
そこで国際本部の意向により、国内の連絡調整機関を設けることになり、2003年6月に千数百年の歴史を誇る比叡山延暦寺の律院に、全国からコンヴィヴィウムの代表者が集まって、はじめての全国会議が「京都会議」として開催されました。会議では二日間にわたる白熱した議論が交わされ、国内の連絡調整機関として「スローフードジャパン連絡協議会」を設けることが承認されました。連絡協議会は、全国のコンヴィヴィウムの連絡調整と、国際規約に基づいた正式な国内組織を立ち上げる準備委員会としての役割を担っていました。
そして2004年4月に、「横浜会議」として第二回代表者会議が横浜で開催され、国内規約等について議論を交わし、同年6月にスローフードインターナショナルの国際規約に基づき、国内総会(コングレス)が大分県湯布院町(現在は湯布市)で開催されて、日本の国内組織となる「スローフードジャパン」が結成されました。そして同年10月に、イタリアのトリノで隔年開催される食の祭典「サローネ・デル・グスト」の会場で、スローフードインターナショナルとスローフードジャパンにおける議定書の調印式が行われ、イタリア、フランス、ドイツ、スイス、アメリカに次いで、世界で6ヵ国目の国内組織として正式に「スローフードジャパン」が誕生しました。 以来、国内の会員管理からコンヴィヴィウムの認証をはじめ、これまで国際本部が行っていた全ての役割をスローフードジャパンが担うようになりました。
スローフードジャパンの組織について説明致します。公開まで今しばらくお待ち下さい。
顧問・名誉会長 | ジャコモ・ モヨーリ |
スローフード インターナショナル理事 |
顧問・相談役 | 小泉 武夫 | 東京農業大学教授 |
馬場 裕 | スローフード東京 | |
代表理事・会長 | 若生 裕俊 | スローフード宮城 |
理事・副会長 | 浜田 倫紀 | スローフード宮崎・綾 |
門上 武司 | スローフードなにわ | |
笠原 健一 | スローフードとちぎ | |
理事・事務局長 | 萱場 裕 | スローフード宮城 |
監事(事業監査) | 尾川 欣司 | スローフード奈良 |
監事(会計監査) | 土屋 修三 | スローフード信州 |
委員会 | ||
味の箱舟委員会委員長 | 西野 虎之助 | スローフード茨城 |
認定学術委員長 | 小泉 武夫 | 東京農業大学教授 |
広報委員会委員長 | 遊佐 勇人 | スローフード福島 |
機関紙スローフード | ||
編集委員長 | 門上 武司 | スローフードなにわ |
イベント委員会委員長 | 毛利 良之 | スローフード横浜 |
食育委員会委員長 | ナンシー八須 | スローフード埼玉 |
プレシディオ・リーダー | 川手 督也 | スローフード岩手 |
マスターオブフード・ リーダー |
成田 重行 | スローフード江戸東京 |
1993 | 日本ではじめてのコンヴィヴィウムが設立される(東京)。 |
2002 | 仙台での会議において、日本国内の「味の箱舟」計画を初めて発表。 |
2003 | 全国からコンヴィヴィウム・リーダーが集まり、第1回の全国会議が行なわれる(京都)。日本国内の調整機関として「スローフードジャパン連絡協議会」の設置が決定される。 |
2004 | 第2回全国会議が開かれ(横浜)、国内規約等についての議論が行なわれる。 |
2004 | スローフード・インターナショナルの国際規約に基づいた国内総会が開催され(湯布院)、世界で6番目の国内本部として、日本国内のコンヴィヴィウムの統括機関となる「スローフードジャパン」が設立される。 |
2004 | スローフードジャパン事務局が設立される(仙台)。機関誌『SLOW』日本語版が創刊される。 |
2004 | サローネ・デル・グスト会場において、スローフードジャパンの調印式が行なわれる。 |
2004 | 「味の箱舟学術委員会」が設置される |